父の足跡を辿る旅

今週のお題「父との思い出」

今週のお題を書くのは初めてです。

父は私が中学生のころに亡くなりました。長い闘病生活の末に亡くなった父のことで最後に覚えていることは、遺体を病室から慰安室にするときに、ストレッチャーからこぼれた父の腕をシーツの下に戻す時のことです。触れた父の腕は、まだ暖かく柔らかでした。まだ生きているかのようでした。

何かにつけて厳しかった父ですが、今思えば私や家族によりも、父自身に対して一番厳しかったのではないかと思います。一方私はと言えば、自分に甘い所が多く、果たして今の私の姿をどのように見ているのかと思う事は度々あります。そんな折り、私の父方の親族の法要に行ってきました。

法要は父の父母、つまり私の祖父母が眠る墓のある菩提寺で行われました。その法要の後、祖父母の墓の前に立った時の事でした。それまですっかり記憶から抜け落ちていた父との思い出、私の幼い頃の思い出が蘇ってきました。

私がまだ幼い頃、両親に連れられて、何度か祖父母の墓参りをしました。当時は、このお寺の近くには神社や公園が数多くありました。その近くの公園や神社の境内で父と母に遊んでもらった楽しい日々の記憶が鮮烈に蘇ってきました。今思えば、そのころのうちは貧乏だったはずでした。菩提寺に行くと住職と長話をする父でしたが、それは生活の相談だったのかもしれません。が、そんなそぶりを見せる事の無かった両親でした。思い出の中の両親は笑顔でした。

しかし父親として尊敬できたかというと、父の生きているときは尊敬などしていなかったと思います。激高することも多く、理不尽なことで怒鳴られた事もありました。それでも金銭面で嘆いたり、人に当たる事はなかったと思います。父は父なりの道を真っ直ぐに歩んでいたのだと、今の私には理解できます。今は素直に父の生き方を認める事が出来ます。

そんな父の足跡を辿っているような気がしています。娘が生まれたから、そのように感じるようになったのかもしれませんが、違うような気もします。

祖父母の墓の前に立ったとき、時間を超えて父と並んで墓参りをしているような気がしました。私としては、父の後ろ姿について行くのではなく違う道を選んだつもりでしたが、父の影響は大きかったのだと改めて感じました。墓前に立ち思い及んだのは、ようやく父と同じ達位置に立てたのではないかと思いました。もし父に会う事ができるなら、今なら言える一言を言いたいです。

一杯飲もうか